海の恵みと大地の恵みと情熱と

雲丹



鮨は手で食べるのと箸で食べるのとどちらが正しいか?と鮨職人に聞いたとする。たぶん「どちらでもいいですよ、食べやすい方法で。」と答えると思う。これはお客を前にした鮨職人の建前。カウンターに箸で食べているお客さんがいる以上「手で食べたほうがいいですよ」とは言えない。


だけどね、鮨は手で食べた方が旨いんだ。職人さんは手で食べるお客さんには柔らかくふわっと握る、箸で食べるお客さんには箸で持っても崩れないようにちょっと固めに握る、箸で食べる箸使いのあまり巧くないお客さんには絶対に崩れないようにガチガチに握るんだ。箸で食べるお客と手で食べるお客がカウンターに混在している状況に出会ったら親方の握る手つきを注目してみれば握り方にはっきりと違いがあるのがわかると思う。


舎利とネタが職人の手の中で出会い熟成されるのが江戸前鮨。ガチガチの舎利だとネタとの固さが合わないからネタの味わいと食感を舎利の固さが邪魔してしまうんだ。


一貫の鮨は海の恵みと大地の恵みが手間を惜しまず手を掛けすぎずに熟成された宝石のような物、ただその輝きは一瞬だからカウンターの向こうからこちら側に置かれたらすぐに親指と人差し指と中指、三本の指先で摘んで素早く口に運ぼう。煮切りが塗ってあるけど醤油に浸けたい場合は人差し指でネタを剥がれないようにそっと押さえてひっくり返してネタ側にちょんと醤油を浸けよう。そのままひっくり返した状態で口に入れるのが鮨通と言われているけど手首が痙らないように気をつけよう。


醤油と酢は発酵と熟成の産物、米も一年がかりの作物、どちらも時間と人手をたっぷり費やして生まれてきている。そして鮨種、新鮮なネタをそのまま使うのはエビ、カニ、貝類などごく一部。白身魚アオリイカは捌いてから何日か熟成させるし本マグロはブロックで一週間から場合によっては一ヶ月は熟成させる。鯖や小鰭などの酢締めは一晩から一ヶ月ぐらいの熟成、昆布〆は最低二晩は寝かせる。大地と海の恵みと時の流れと人の情熱が凝縮されて一貫の鮨になる。「新鮮で美味しい!」なんて口が裂けても言ってはいけない、鮨に失礼だから。